アーユルヴェーダの師である
蓮村誠先生が、
2013年にツイートをまとめたものを
シェアさせていただきます。
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この物語はヴェーダの知識をもとにしていますが、私の創作によるものです。
タイトルは『魂の物語』です。
この世の始め、まだ宇宙すらなかったとき、たった1つの魂がありました。
その魂には形はなく、色もなく、重さもなく、増えることもなく、減ることもなく、ただそれだけがありました。
そのため、“それ”もないのと同じでした。
その魂は純粋意識とも呼ばれ、それは永遠で普遍的な存在でした。
その魂は、「知」や「至福」を溢れんばかりに持っていました。
それは文字通り言葉に出来ないほど素晴らしいもので、やがて、その知や至福はついに溢れ出てしまいました。
まず初めに「知」が、それに続いて「至福」が溢れ、それぞれはマハト(宇宙知性)と、サットヴァ(純粋性)、ラジャス(活動性)、タマス(不活発性)と呼ばれる3つのグナ(宇宙創造の質)となりました。
魂はマハトによって知を具体化し、グナによって創造の要素を手にしたのです。
魂はそのことに興奮しました。
そして、マハトはその知を具現化するためにアハンカーラという原理を生み出し、知を個別化していきました。
その個別化された知は、後に“自我”と呼ばれるようになりました。
そして知は、その自我に3つのグナを使って心を与え、 さらにその心に対象を与えるために体を作りました。
こうして、たった1つの魂は、自らはそのままに無数の知に分かれ、それに心と体を与えることで、「宇宙」と呼ばれる世界と「人」と呼ばれる個体を作りました。
魂は自らが創った、この宇宙と人をとても喜びました。
何故なら、魂のままでは決して経験することができない自らの知と至福を、宇宙という空間と人という個別によって体験することができるようになったからです。
魂はそのことが嬉しくなり、あっと言う間に宇宙の中に無数の空間の歪みを創りました。
その空間の歪みは後に「銀河」と呼ばれるようになり、さらにその銀河の中にたくさんの「星」と呼ばれるものを創り、そこに人が住むようになりました。
宇宙の中に「地球」と呼ばれるとても美しい星があり、そこにも人が住んでいました。
地球はまさに魂の至福が現れた理想的な星で、人も自らが魂と1つであることを知っていました。
人はその地球において、争うことも、奪うことも、心配も、病も何もなく、ほんとうに幸せで平和に満ちた暮らしをしていました。
後にその人びとの世界はサトユガと呼ばれるようになりました。
彼らはつねに魂とのつながりを保ち、自分の内側に至福を感じ、いかなるときも宇宙知性であるマハトとともにあり、間違ったことをせずに幸福に暮らしました。
やがて彼らは自らの生活をより豊かにするために、みんなで協力して暮らすようになりました。
人が集まり、大地と太陽の恵みだけで農作物を育てるようになりました。
人びとは、そうやって集まって暮らし、 そのコミュニティは少しずつ大きくなり、いつしか人の集まりを指揮する者が現れました。
その者は、つねに魂とのつながりを大切にし、人びとが本当に幸福に暮らせるように、宇宙知性の知をよりきちんと人びとに伝えていました。
こうした調和的な、平和な人びとの暮らしは長く続きましたが、やがて突然終わりを告げました。
それは、何かが間違っていたからではなく、宇宙知性に初めからあった、創造と維持と破壊という3つの知によって起こったのです。
サトユガという人びとが完全に平和に生きた世は終わり、やがて人びとの心の中にいくらかの不安や心配が生まれる世が始まりました。
後にその時代はトレーターユガと呼ばれました。
人びとの暮らしは少しずつ変化し、指揮者はこれまでのように宇宙知性を完全な形で伝えられなくなり、自我による個別的な知によって、指揮をするようになりました。
それによって、少しだけ人びとの生活が混乱し、農作物が取れにくくなり、富める者と富めない者との区別が生まれていきました。
これまでまったく人と自分を区別することなく調和的に暮らしていた人びとのなかに、あの人の方が自分よりも豊かだ、という想いが生まれるようになったのです。
それでもまだトレーターユガの時代に生きた人びとは、まだ1つの魂とのつながりを大切にしていました。
そのため、人よりも豊かになりたいと願い、競争するような人はいませんでした。
そして、指揮者もまた、みんなで幸福になっていくことを望み、自らの役割として1つの魂とのつながりを大切にしていました。
人びとはこのトレーターユガの世に、ときに幸福ではない経験をしましたが、多くは幸福に生きたのです。
そして、トレーターユガの世が長く続き、やがてそれも宇宙知性によって破壊され、新しくドヴァーパラユガと呼ばれる世が始まりました。
この世は、トレーターユガよりも魂とのつながりが薄れました。
人びとの多くは、魂を自らの内側で感じにくくなり、 そのために、魂がもっている愛や至福や調和や統合やバランスの半分を失い、その代わりに、不安や心配や疑いや弱さというこれまで経験したことのない闇を心に感じるようになっていきました。
そして、愛やバランスを失った心は、体の機能までも乱し、人びとは、後に「病気」と呼ばれる不調を経験するようになったのです。
人びとは混乱していきました。
美しい花々の香りも、甘くて美味しい果物も、かつてのように無邪気に喜ぶことができなくなり、どうしたら、この苦しみから逃れ、幸せになれるのかと考えるようになっていきました。
しかし、人びとは、自分たちの苦しみの本当の原因が、魂とのつながりを失ってきたからだとは気づかずに、自分達が少しでも幸福になれるようにと懸命に農作物を作り、豊かになろうとしていきました。
人びとは、豊かさをより大きくしていくために道具もどんどん開発しました。
そして、道具によってより大きな富を得た者が人びとから支持されるようになり、これまでの指揮者とは別に、その者を指導者として崇め、集まるようになっていきました。
そして、いつしか地球には、そうした富を沢山持っている人によって束ねられた集団がいくつも出来上がっていき、それは後に「国」と呼ばれるようになりました。
国を束ねている指導者は、自分が持っている国がより豊かになるように色々と考えました。
そして後に「法律」と呼ばれる人びとを管理する仕組みを作り、「権力者」へとなっていきました。
こうしてドヴァーパラユガの世は、権力者とそれに従う者達という区別を生み、それによって人びとの暮らしは、一定の平安を保って暮らしていたのです。
しかし、そんなドヴァーパラユガの世もやがて終わり、4つめの世であるカリユガが始まりました。
この世の人びとは、ついにほとんど魂とのつながりを失い、愛や至福や調和はほんの少しとなり、どんなに富を持っていても、心の不安や恐れや心配はなくならず、 体は病気に蝕まれるようになっていきました。
それは国の権力者たちも同じでした。
自分の国がいつ他の国から襲われ、自国の人や物が奪われるかと恐れ、そのために「武器」と呼ばれる攻撃する道具を作り、自ら攻撃をしかけるようになっていきました。
人びとは権力者の考えに賛同し、こぞって争いをおこなうようになっていきました。
国同士が争い、奪い、支配する世界がはじまったのです。
人びとの暮らしはこうした争いと支配が中心となり、そのための道具も発達しました。
その道具は、自然を操作するためのもので、後に「科学」と呼ばれるようになりました。
人びとの暮らしは、科学の発達によって一変していきました。
人びとは高速で移動し、空を飛び、遠くの人と話し、食べものを長期保存するようになりました。
人びとは、こうした科学の発達に狂乱し、科学こそが自分たちを幸福にしてくれるのだと信じる者も数多く現れ始めました。
そして、人びとは自分たちの本質がたった1つの魂であり、それの愛や至福の現れであることをほぼ完全に忘れ、科学の発達と争いに明け暮れていくようになったのです。
国の権力者たちは、科学の発達を多いに利用しました。
他の国を征服するための道具は後に「兵器」と呼ばれ、また病を決して完治させない「薬」や予防しない「ワクチン」と呼ばれる物を生み出しました。
それらは、ある程度の症状改善や予防効果がありましたが、後で別の形で悪くなるように作られました。
そのために人びとは一度薬を使うと手放せなくなりました。
それは後に「副作用」と呼ばれるようになるのですが、権力者たちはその副作用を利用し、人びとの健康までも支配するようになっていったのです。
人びとの暮らしは闇に包まれていきました。
真実を語る者は捕えられ、愛や献身の名の下に平然と人を支配する世界が作られていったのです。
それでも人びとは仕方がないと思って生きていました。
生きるためには仕事やお金が必要だし、病気になれば薬も必要です。
人びとは、権力者たちが支配する社会に甘んじ、それでも自分たちは守られているのだという錯覚をもって生きていたのです。
そして、初め魂が自らの知や至福を体験するために創造した地球という星とそこに住む人びとは、病人で溢れ、いたる所で争いがおこり、自分の利益だけを追求する一部の権力者によって環境が破壊されていったのです。
人びとは長い間たくさん苦しみました。
やがて、少しずつ人びとは気がつき始めました。自分たちは、もっと幸福になっていいのではないか?と思うようになっていきました。
自分たちは、争いや奪い合うためにここにいるのではなく、ともに地球という美しい星にいて、魂の知と至福を実現するためにいるのであり、生命の本質は成長であり、人生の本当の目的は“幸福の拡大”なのだと、思い出し始めていったのです。
これは、カリユガという闇の時代が終わっていく、という一つ兆しでした。
カリユガの終わりにあたり、権力者は自分たちの利益を守るためにより一層必死になりました。
実に巧妙な手口を使い、不正と真実を隠し、国や人びとのためにという言葉を使って自分たちの権利や地位や財産を守ろうとやっきになっていきました。
そして人びとの生活の中にあらゆる毒をまき散らすようになり、それらは後に「農薬」や「添加物」や「放射能」と呼ばれ、さらに生命を育む純粋なエネルギーをまったく持たない「遺伝子組換え」と呼ばれる技術で農作物を作りました。
人びとはこうした毒を含み、生命の生き生きとした質であるオージャスという物質がまったくない食事をすることで、どんどん弱っていきました。
しかし、こうしたことが結果的にカリユガの終わりを早めていったのです。
なぜ、人びとが弱ることがカリユガの終わりを早めたのかと言えば、
それによってまがいなりにも保たれていた様々な均衡が崩れ、社会はバランスを失い、国としての機能が失われていったからです。
そして、ようやく人びとは本当に目が覚めていきました。
自分たちの本当の姿は、この世に2つとない純粋な意識の現れであり、その「知」と「至福」を生きるための存在であり、地球という美しい星はそのためにあるのだと気がついたのです。
そうなるまでに、失われたものもたくさんありました。
つまり、カリユガだからこそ存在することができたものが、サトユガになっていくために、消えていかなくてはならなかったのです。
その中には、巻き込まれて消えていった、サトユガの世で存在するべき純粋なものや調和的なものもありました。
そしてようやくカリユガの時代が完全に終わり、人が完全に調和して暮らすサトユガの時代に戻りました。
これもまた、宇宙知性による創造、維持、破壊のサイクルでした。サトユガから始まり、カリユガという闇の世を経て、ふたたびサトユガに戻ったのです。
今、サトユガに生きている人びとは、争いもなく、病もなく、支配もありません。
あるのは平和であり、調和であり、豊かさです。
ただ、ずっと昔の始まりのときのサトユガのときと1つだけ違う事があります。
それは人びとが一度、カリユガを経験したことがある ということです。
つまり、今生きているサトユガがいかに豊かで素晴らしいかを知っているのです。
そして、宇宙知性の働きによって、いつかこのサトユガも終わり、トレーターユガ、ドヴァーパラユガ、そしてまたカリユガになっていくということも知っています。
ですから、人びとはいつかこの調和や平和が失われ、人びとが苦しみに覆われたときのために、知識を残しておこうと決めました。
その知識は地球上のさまざまな地域で残されました。
その中の1つが、後にインドと呼ばれる国の「ヴェーダ」でした。
ヴェーダは魂の知識そのものであり、別名「宇宙の青写真」とも呼ばれました。
そして、ヴェーダの一分野に「アーユルヴェーダ」という生命の知識も含まれていました。
人が病で苦しまないようにするための方法を残したのです。
人びとは、自分たちがほんとうは1つであり、競争や争いや支配があり得ないことを知っています。
すべては調和的であり、
豊かであり、
そして進化的なのです。
全ては至福から生まれ、
至福に支えられ、
そして至福に向かい、
ふたたび至福と1つになっていくのです。
(おわり)
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